私たちが一生を通じて追い求めているものは、結局何なのか



人生を極め尽くして、私たちが追い求めているものは、結局何なのか?
この言葉は75歳の作家、ライ・セイエン翁から出たもので、読み終わった後、心が深く揺さぶられた。

彼は言う。実は最近数年間、ずっと1つの問題を考え続けているという。統計によると、彼のような年齢まで生きられる人は44%に過ぎない。それなら、まだ何を心配しているのか?まだ何に悩んでいるのか?

梁実秋先生は昔こう言った。人は50歳を過ぎると、1年が前の年より劣ると感じ始める。60歳を過ぎると、1ヶ月が前の月より劣るようになる。この年頃には、実は1日が前の日より劣ると深く感じるようになり、80歳を過ぎると、1時間が前の時間より劣るようになる、と。

では、人生を極め尽くして、私たちは結局何を追い求めているのか?

実は、多くの人が見落としている真実がある。多くのことは、そもそも意味がある必要はないのだ。生命そのものは、ただ1つの過程に過ぎない。飲食や娯楽は、人生を無駄にすることと同じではない。苦労に耐えることも、必ずしも賞賛される価値があるわけではない。

人生は本来、感受し、体験し続けるプロセスなのだ。だから、私たちは必ずしも世間一般が意味があると認める事をしなくてもいい。それは他人の人生だ。あなたの人生の意味は、必ずあなた自身が与えるものなのだ。

あなたが望むなら、一見無意味に見える事をすることができる。ぼんやりすること、雲を眺めること、日の出を見ること、星を数えること。体験こそが、最大の意味なのだ。

人生は野原であり、線路ではない。四方八方すべてが風景になり得る。あなたが今この瞬間を楽しんでいるなら、それは意味があるのだ。

短く限られた人生、百年後には、あなたもいなければ、私もいない。私たちは一生を懸命に闘ったが、一块のレンガさえ持ち去ることはできない。私たちは一生執着したが、ひとかけらの愛恨も持ち去ることはできない。

では、なぜ時間をかけて争ったり、悲しんだり、細かいことでもめたりするのか?代わりに、節約した時間を愛することと享受することに使わないか?この世界のすべては止まることなく流れていく。苦しみにせよ、素晴らしさにせよ、時間の尺度で見ると、すべて浮雲に過ぎない。だから、現在を生きることだけが、最も真実で最も重要なのだ。

子どもの頃は、宿題を忘れることが人生最大の事だと思った。学生時代は、良い大学に入れないことが人生最大の事だと思った。恋をすれば、愛する人と別れることが人生最大の事だと思った。しかし今、振り返ってみると、乗り越えられないと思った壁も、結局すべて乗り越えたのだ。受け入れられないと思った現実も、結局受け入れたのだ。

人生は選択に満ちており、実は後悔こそが人生の常態なのだ。あなたに1つの真実を教えよう。人は、どんな選択をしようとも、後悔するのだ。人々は常に習慣的に、自分が選ばなかったその道を美化する傾向がある。だが、誰もが心のどこかで知っている。もし時間をやり直すことができたとしても、あの時のあなたの知識と経験では、やはり同じ選択をしていただろう、と。

振り返れば、軽舟は万重の山を過ぎ去り、前を見れば、前路は遙かにして、また灿烂たり。

そして、人は実は皆異なるのだ。20代で亡くなる人もいれば、90代でまだ生きている人もいる。一瞬で生を失う人もいれば、ベッドに何十年も寝たままで初めて亡くなる人もいる。高学歴なのに出前配達をしている人もいれば、学歴が高くないのにすでに経営者である人もいる。美人でも40代50代で独身の人がいる一方で、そうでない人が早々に結婚して子どもを産む。能力のある人は1年に親に会うことが数回もないかもしれないが、平凡な人は一生家族団らんと家族の楽しみを享受している。

では、一体何が正しくて、何が間違っているのか?何が良くて、何が悪いのか?どれが人生の意味の標準的な答えなのか?

実のところ、標準はない。あなたの心が標準なのだ。

年齢というその数字があなたの前に現れた時、突然人生は本当に短いのだと感じるようになる。覚えておけ。すべてやり直すことはできないが、しかし、愛する者を愛し、求めるものを追い求め、享受する時間はまだ残されている。――青山を踏破して人いまだ老いず。

もしあなたがまだ問い続けるなら、人生の意味は一体何か?その答えは、こうだ。人生は実のところ、何の意味もない。99%の人は三代後には、時間によってあなたが存在していたすべての痕跡を拭い去られるのだ。

だから、人生の意味は、あなたが生きたこの短い数十年の体験の集合にあるのだ。決して、ほんのつまらない些事や蝿のような小銭のために計較して、烦恼を増やしてはいけない。他人の誤りであなた自身を罰してはいけない。

世事は無常。一眠りして目覚めるのは1日、一眠りして目覚めないのは人生だ。私たちは決して知ることはできない。明日と事故のどちらが先に来るのかを。

だから、私たちができることは、心を込めてすべての食事を味わい、心を込めてすべての花開く光景を観賞し、心を込めてすべての風景を眺め、心を込めてすべての責任を果たし、心を込めて今この瞬間のすべての幸福と喜びを感じることなのだ。

幸福とは何か?幸福は実は単純だ。9つの字に過ぎない。帰る家があり、思い出してくれる人がいて、食べる飯がある。

いわゆる歳月静好とは、不過に家の中の湯気の立っているご飯と、家の中でいつもあなたのために灯される一つの灯なのだ。

人生には常に対応しきれないことが多すぎる。まばたきする間に1日、振り返ると1年、身を翻すと人生だ。

私たちが人生を極め尽くして追い求める幸福は、過去にもなく、未来にもなく、ただ現在にあるのだ。眼前の景色、碗の中の食事、身辺の人。

三食四季、家人閑話、幸福順遂、灯火親密、すなわち人間世界の最高の風景なのだ。

これからの人生、共に心からよく生きよう。
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